研究の概要

 

波として干渉する電子や粒として振る舞う光子など、「量子」と呼ばれるものは、 我々の住む世界からはちょっと想像できない不思議なふるまいをします。 このふるまいを利用して情報処理やセンシングを行う量子エレクトロニクスと呼ばれる分野があります。 量子コンピュータや量子センサーはその代表例であり、その技術が21世紀の科学を拓くと考えています。
 私たちが普段使っているコンピュータは、磁性体をハードディスクとして、半導体トランジスタをプロセッサとして、 光を通信媒体として、様々な物理系を相互に利用することで機能を獲得しています。 量子コンピュータ・量子エレクトロニクスにおいても、このような複合化が将来的には重要であると考えられます。 量子系は、非常に脆く制御が難しいものですから、出来得る限り多くを古典コンピュータに行わせ、本質的な部分のみを量子系にやらせることが重要です。 しかしながら、量子エレクトロニクスが扱う情報は、測定すると壊れてしまい、また複製することもできません。 そのため、量子系の複合化には、量子情報を量子のまま保ちながら異なる物理系を行き来し、制御していく必要があります。 これを実現するのがハイブリッド量子系です。 野口研究室では、「超伝導量子ビット」「トラップイオン」「トラップ電子」の3つの量子系に着目し、量子技術の複合化を目指した研究を行っています。

以下に、野口研究室で取り組んでいる研究の内容について簡単に説明します。

電子のパウルトラップ

 

通常、金属中を電流として流れる電子ですが、パウルトラップという技術を用いることで、真空中の一点に捕獲することができます。 真空中では、固体中などと違い、電子は周囲の原子や電子によって散乱されないため、非常に長い時間量子性を保ち、良い量子系となります。 パウルトラップとペニングトラップの技術により、1989年にWolfgang PaulとHans Georg Dehmeltに対してノーベル賞が与えられ、 さらにパウルトラップ中のイオンを用いた量子系については、2012年にDavid Winelandに対してノーベル賞が与えられました。 これほど研究が進んでいるパウルトラップ中の量子系ですが、電子については、上述のH. S. Dehmeltが先駆的な実験を行ったのち、あまり着目されてきませんでした。 しかし、近年になり、ハイブリッド量子系を構成する要素としてパウルトラップ中の電子が再度注目されるようになってきました。 本研究室でも、パウルトラップ中の電子の振動状態に対し、超伝導回路技術を用いた精密な測定や制御技術を適用し、量子系としてトラップ電子系を制御します。

超伝導量子回路を用いた複合量子系

 

ジョセフソン接合と呼ばれる超伝導量子素子を利用することで、電気回路の中に量子を実現することができます。 冷凍機によって20mKにまで冷やされた超伝導回路は、「人工原子」とも呼ばれ、人工の量子2準位系として量子ビットを構成します。 この超伝導量子ビットは、高い収率や再現性、またマイクロ波技術による高速制御と設計度の高さにより、次々と性能が向上しており、 近年には、99%以上の精度で1量子・2量子ゲートが達成され、量子コンピュータ実現に向けた研究が世界中でなされています。
 このように性能の高い超伝導量子ビットという量子系を、量子コントローラや量子検出器として用いて、 他の量子系を制御するハイブリッド量子系の研究も注目を浴びるようになってきました。 これまでの研究で、機械振動子やスピン・弾性波と超伝導量子ビットのハイブリッド量子系が実現されてきました。 野口研究室では、固体表面に局在化した表面弾性波(レイリー波)に着目し、強結合ハイブリッド量子系の研究を行っています。 とくに、複数のジョセフソン接合からなる特殊な超伝導回路を利用した、人工輻射圧の研究を行っています。 人工輻射圧は、回路の非線形応答を利用することで、電気回路の中のマイクロ波に人工的に大きな輻射圧を持たせる技術です。 この技術により、表面弾性波の量子状態制御を行う研究を行っています。

超伝導量子コンピュータ応用に向けたCubic transmon qubitの開発

 

 ジョセフソン接合を用いた超伝導量子ビットの構成方法には、 「charge qubit・flux qubit・phase qubit・transmon qubit・fluxonium qubit etc...」と様々な手法があります。 現在の超伝導量子コンピュータの研究では、主にtransmon qubitと呼ばれる量子ビットが利用されています。 野口研究室では、ハイブリッド量子系の実現のために開発した人工輻射圧の技術を超伝導量子ビット系に逆輸入し、 新しくCubic transmon qubitと呼べる量子ビットの開発を行っています。 この量子ビットは、周波数の異なる量子ビットの間に高速な2量子ゲートを行うことができる特徴を持っており、 Transmon qubitを用いたアーキテクチャの欠点のいくつかを克服するものであると考えています。 一方で、Cubic transmon qubitは、そのままではコヒーレンス時間が短いという欠点があるため、 現在、より発展した超伝導回路の開発により、この問題を克服するための研究を行っています。

電子-イオン複合量子系

 

 パウルトラップ中でレーザー冷却された1次元イオン結晶(イオン鎖)は、量子コンピュータの情報の担い手として、 超伝導量子ビットに並んで(より古くから)研究されています。 真空中に浮いたイオン鎖は、環境の擾乱から完全に切り離されており、その電子スピンや核スピンは非常に長いコヒーレンス時間を持つ量子系です。 さらに、イオン同士はクーロン力で相互作用しており、振動状態を介することでイオン鎖の任意のイオン間に高精度な2量子ゲートを実装することもできます。 また拡張性の観点では、超伝導量子ビットとは違い、最近接以外の量子ビットとも相互作用可能という有利な点がある一方で、 複数の2量子ゲートを同時に行うのが難しいという欠点があります。 そのため、量子ビット数を増やしたときには、深い量子回路を組むことが難しく、イオン単独ではスケールされた量子コンピュータの実現は難しいと言えます。 そこで、イオンと超伝導、ふたつの量子系の長所を兼ねそろえた量子系を構築するために、イオンと超伝導からなるハイブリッド量子系の実現を目指します。
しかし、イオンは環境から切り離されているために、他の量子系とも相互作用させることが難しいという課題があります。 そこで、イオンと他の量子系をつなぐインターフェイスとしてトラップ電子系を用います。 トラップ電子は、非常に軽い質量のために、零点振動がイオンに比べて大きいという特徴があります。 そのため、アンテナを用意することで、電気回路(超伝導回路)と結合することができます。 一方で、イオンと電子もクーロン力で相互作用しています。 これらの効果を合わせることで、トラップ電子はイオンと超伝導回路を結ぶ懸け橋となることができます。 こうした動機のもと、電子とイオンを同じ電極により空間的に近い場所に捕獲し、電子・イオン複合系の実現を目指した研究を行っています。

表面イオントラップ上の光量子インターフェース

 

 量子情報処理の担い手として精力的に研究されているレーザー冷却された原子イオン系は、 量子ゲートの高精度化・1次元配列を用いた多重化が精力的に研究されてきました。 一方、原子イオンは光子の授受ができるため光領域の量子技術と相性が良く、 光共振器と原子イオンを強く相互作用させることにより原子イオンの量子状態と光子の量子状態を相互に転写する光量子インターフェースの開発も 盛んに行われています。従来は3次元的構成での光量子インターフェースが研究されてきましたが、本テーマでは半導体集積技術を応用し、 光量子インターフェースを表面トラップ基板上に構築することによる光共振器のさらなる微細化と光量子インターフェースの改良を目指して 研究を行っています。また、光量子インターフェースを用いて表面トラップ間を接続することで原子イオン系のさらなる多重化が達成され、 量子ネットワークの発展や「量子インターネット」実現に向けた大きな一歩となると考えています。

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